万物に神が宿る国

2007年09月24日 23:21

ペリーが黒船を率いて浦賀に現れたのは、何のためか?捕鯨船の寄港地がほしかったからといのが主目的のひとつです。

アメリカは今では反捕鯨の立場をとっていますが、当時は盛んに捕鯨をしていました。

別にその変節を責める気はありませんが、捕った鯨の活用法に、日本との精神の差を感じます。

日本で捕獲された鯨は捨てるところがないほど、すべての部分が使用されていました。

ところがアメリカの捕鯨の動機は照明用などの油を得るためだけです。他はすべて捨てられていたのです。

また、韓国や中国を旅行すると、茶褐色の地面が露になった山をよく目にします。

日本では木を伐採した後、植林をするため、そのような山はそう見当たりません。

せっかく捕獲した鯨をほとんど捨ててしまったり、緑のない山を見たりすると何だかいやな気持ちになりませんか。

この気持ちが日本人の精神だと思うのです。

古来より日本には八百万の神が住むといわれ、自然や自然現象、身近なものまで、すべてのものに神が宿ると考えられてきました。

ですから、些細なものにでさえ、大事にしよう大切にしようという気持ち、全てのものに敬意を払う気持ちがあり、その精神の発露として、得た物への感謝と無駄にすまいとする行動に現れます。

また、どんなに大切にしても、全てのものは滅びますから、そこに“あはれ”を感じる日本人の情緒、滅びの美学が生まれたのではないかと思います。

ここに武士道の自己犠牲の精神などが組み合わさり、「大和魂」が形成されたのでしょう。

日本的精神の一端を表現している“もったいない”という言葉は、近年見直されている言葉です。

リサイクル精神を先取りしたような言葉ですが、その意味の中に自然や物に対する敬意が込められています。

日本人の精神をよく表した言葉ですが、ほかの国にはこの言葉にぴったりの訳がなく、ノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんは、環境問題を考えるキーワードとして、“MOTTAINAI”を広めようとされています。

優れた価値観は、言語や宗教、国境を越えるのです。そのままのかたちで。

国際化国際化、英語英語といいますが、真の国際化は日本を知り、日本人たることです。

日本のことを知らずして、外国人と交流などできませんし、日本語が満足にできなければ、外国語などできません。

いくらベラベラ軽妙に会話ができても、中身のない人とは付き合いたくないでしょう。中身とはその人間の意識、精神ではないですか。

自分の拠って立つ足場を固めなければ、小手先をいくら磨いても意味がないのです。

残念ながらこの国の教育は小手先のことばかりで、根っこをないがしろにしています。

あなたは日本がどんな国か、外国の方に説明できますか。

日本はどんな文化を持ち、どのような歴史を歩み、なにを大切にしてきたのか、語れますか。

戦争に負けようと、たとえ日本人が一人になっても、日本は滅びません。

日本人の精神が失われたとき、日本は滅ぶのです。日本国籍の人間が何人いようとも。

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