『明日、ママがいない』考察

2014年01月28日 09:50

20140127明日、ママがいない

日本テレビドラマ「明日、ママがいない」が物議をかもしている。
 → 
「明日ママ」スポンサー全社がCM見合わせ  スポニチ

養護施設を舞台としたこのドラマに対して、養護施設の実態にそぐわない描写に批判が集まっている。

これに対し擁護派は、「ドラマに何処までリアリティを求めるのか?刑事ドラマのように本物の刑事は鉄砲ぶっ放さないぞ」と言う。

ドラマや映画などのリアリティとはどうあるべきなのか?
そこがポイントになるようだ。

結論から言うと、それはその舞台によると思う。

例えば良く取り上げられる先生のドラマ。
金八先生やGTOなど、数多くの作品があるが、そこでドラマのリアリティの問題になった事はないと思う。
あり得ないような先生がいても、学校と言う舞台は誰もが体験している所なので、荒唐無稽なら荒唐無稽と視聴者が認識できるからだ。

一方、あまり知られない世界のドラマ。
刑事ものであれば、警察内部の人が見たら「そんなことありえないよ」という設定があっても、一般の視聴者は気がつかない。
そこに誤解を招く要素が生まれる。

以前ブームになった韓流ドラマ。
その中でも歴史物は歴史ドラマと言うよりファンタジーものと言っていいくらい、リアリティのないものだったが、知らない視聴者は韓国の昔はあんな感じだったと思うだろう。

まあ刑事ドラマや韓流ドラマなら大した実害はないが、児童養護施設は違う。

実際にそこで育った人、施設の関係者、彼らに対する誤解を広げ、害を与える可能性がある。

みなが良く知っている舞台なら、少々デフォルメしようが脚色しようが視聴者はそれと気づいてくれるが、関係者しか知り得ないところが舞台だと、そういうわけにはいかないのだ。

ましてやデリケートなテーマである。
もっと注意を払うべきだったであろう。


ただ、スポンサーが下りたり、放送中止を求めるのはやり過ぎだと思う。

第1話を見た段階で、このドラマは、養護施設を貶める気も、そこで育った子らをさげすむ気もないドラマであるとわかる。
ハッピーエンドかどうかは分からないが、必ず宿命を乗り越えて行く、あるいは乗り越えようとする生きざまを描くドラマになると読みとれる。

確かに今の舞台設定は現実とかけ離れているかもしれないが、それはより“人の業”といったものをあぶり出す為のデフォルメであろう。

ここからどう展開し、どう結末を迎えるのか、それが楽しみなドラマだと思う。
これくらいのドラマを許容できない社会では、ある意味さまざまな障害や困難を抱えた人々をも許容できないのではないかと感じる。

児童養護施設がなぜ存在するのか?
そこにはドラマ以上の現実が存在するというのに。


明日、ママがいない オリジナルサウンドトラック

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