2013年09月29日 17:33
中日新聞 編集部デスク 一人の道を走る
東京五輪決定で思い当たって、夭折(ようせつ)のマラソンランナー円谷幸吉さんを追悼する女性デュオ「ピンク・ピクルス」の『一人の道』を約四十年ぶりに耳にしました。清冽(せいれつ)なハーモニーの陰で、少年のころは何げなく聞き流していた歌詞に、今になって腑(ふ)に落ちる一節がありました。「日本のためのメダルじゃない 走る力の糧なんだ」-。そうかこれは、個人より「国」が優先する不自由な時代への、怨念の発露だったのかと。
一九六四年東京で銅メダルの円谷さんは「金」を期待された次のメキシコを前に衝撃の自殺。高度成長期に五輪が国威発揚の一翼を担う中、国を挙げてのしかかる重圧を前に婚約破棄も余儀なくされ、心身を壊しての絶望の結末でした。
あの悲劇から四十五年、時代は変わりました。気ままに「試合を楽しみたい」と言える今の選手たちに、そんな重圧は無縁のようです。選手が自分の夢に向かって走る自由な「一人の道」に本来、国が立ち入る余地はないはずです。
それなのに、個人の自由を国家権力強化の脇に置くような今の改憲の動きは、まさに時代倒錯でしょう。天上の円谷さんが、この倒錯ぶりに何を思うか、聞いてみたい気がします。
(名古屋本社編集局次長・喜聞広典)
国=政府
という解釈と
国=国民全体
という解釈を巧妙にすり替えてる。
>高度成長期に五輪が国威発揚の一翼を担う中、国を挙げてのしかかる重圧を前に婚約破棄も余儀なくされ、心身を壊しての絶望の結末でした。
>選手が自分の夢に向かって走る自由な「一人の道」に本来、国が立ち入る余地はないはずです。
あの当時、円谷選手にプレッシャーをかけたのは、当時のマスコミであり国民だろう。
政府がプレッシャーをかけたわけではない。
勝手に「国」のせいにしているけど、反省しなければいけないのは国民とマスコミだろうが。
>それなのに、個人の自由を国家権力強化の脇に置くような今の改憲の動きは、まさに時代倒錯でしょう。
マスコミの言いなりだった時代から、個人がおのおの自由に考えられるようになって、今の試合を楽しむ選手が現れ、改憲の動きにもなっているの。
健全の社会発展の例だよ。
それを「時代倒錯」(新語かよw)ととるのは、あんたの物の捉え方が“倒錯”してるからだよ。
>天上の円谷さんが、この倒錯ぶりに何を思うか、聞いてみたい気がします。
「この時代に競技したかった」と言うだろうよ、きっと。
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