2013年03月02日 14:44
福島に続き、すでに総理として2度めの被災地視察だ。
そこで総理は一人の少女と再会した。
小野望美ちゃん(10)だ。
望美ちゃんは東日本大震災で、大好きなお母さんと曾祖母を亡くした。
ひときわ甘えん坊だった望美ちゃんは、お母さんの柩にとりすがって泣きじゃくった。
安倍総理が、まだ総理になる前、望美ちゃんに初めて会ったのはそんな時だ。
望美ちゃんは安倍氏に近づき、「写真を一緒にとって」と言った。
安倍氏は快く応じ、それ以来二人には縁ができた。
お母さんを失い、心痛の日々を送る望美ちゃん。
それでも、望美ちゃんはお父さんやお姉さんに支えられ、頑張って日々を過ごしている。
そんな近況を二人はやり取りするようになる。
そんなとき、思いがけない手紙が、望美ちゃんに届いた。
亡くなったはずのお母さんからの手紙だ。

平成21年5月に小野望美さん宛に母親の由美子さんが書いた手紙(一部画像を修正しています)
「げんきに学校にいってくれるだけで おかあさんは、とてもあんしんしていました」
実は、望美さんの小学校入学時、お母さんがランドセル会社のタイムレターの企画に応募し、千日後に娘へ届くようにしていたのだった。
お母さんの大きな愛情、そして家族の絆が、少しずつ望美ちゃんを癒していく。
そんな望美ちゃんが、安倍総理に再開し伝えたかったこと、それは、
「小学校を建ててほしい」

過去ではなく、未来に向かった要望は、安倍総理の胸を打った。
安倍総理は、所信表明演説で望美ちゃんに触れ、こう話した。
首相官邸HP 所信表明演説より抜粋被災地のことを想う時、私は、ある少女とその家族の物語を思い出さずにはいられません。東日本大震災で、小学校三年生だった彼女は、ひいおばあさんとお母さんを亡くしました。悲しみに暮れる家族のもとに、被災から二か月後のある日、一通の手紙が届きます。それは、二年前、少女が小学校に入学した後に、お母さんが少女に内緒で書いた「未来へ宛てた手紙」でした。
手紙には、入学当初の苦労話の後に、こう綴(つづ)られていました。
「げんきに学校にいってくれるだけで、とてもあんしんしていました。このてがみを みんなでよんでいるところを たのしみにして、これから おかあさんは がんばっていきます」
この手紙を受け取ったのは、私がかつて被災地で出会い、先般、再会を果たした少女です。その際、彼女は、私の目をじっと見つめ、「小学校を建てて欲しい」と言いました。過去を振り返るのではなく、将来への希望を伝えてくれたことに、私は強く心を打たれました。
故郷(ふるさと)の復興は、被災地の皆さんが生きる希望を取り戻す作業です。今を懸命に生きる人々の笑顔を取り戻す。それは、その笑顔をただ願いながら天国で私たちを見守っている犠牲者の御霊(みたま)に報いる途(みち)でもあるはずです。
「復興」-誰もがその言葉を安易に口にする。
しかしその言葉の背景には、18,574人の死者・行方不明者と、その何百倍もの遺族と被災者がいる。
そして、彼らはひとりひとり、望美ちゃんの家族のような悲劇を持っているのだ。
何百万もの悲劇を背負った重みのある言葉、それが「復興」なのだ。
被災地以外にいる人間は、その現実に目を背け、「復興」と口にする。
今も尚、31万5196人が避難生活を強いられているとも知らずに。
望美ちゃんが待ち望んだ小学校の新しい学舎は、来年の秋には完成する。
新しい学び舎に通う望美ちゃんを、天国のお母さんと家族、そして安倍総理が見守るだろう。
1つの悲劇が昇華する。
同じようにすべての悲劇が癒されることを願ってやまない。
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