世界で最も尊敬される日本人潜水艇長

2012年05月04日 13:59

毎年4月15日、福井県若狭町で、ある帝国軍人の遺徳をしのぶ顕彰祭が開かれる。
20140724顕彰祭

その席では、海上自衛隊音楽隊が演奏をし、イギリス大使館付武官が必ず出席して弔辞を述べる。

しかし、彼の名は、今の日本人にはまったくと言っていいほど知られていない。


1910年4月15日、まだ黎明期だった潜水艇が山口県岩国沖で訓練をしていた。
名を「第六潜水艇」という。

艇長、佐久間勉大尉以下13名の乗務員は、発足から5年の日本海軍、潜水艇隊の一員として誇りを持ち、この日も意気高く訓練に取り組んでいた。

15日午前10時ごろ、「第六潜水艇」が半潜航の訓練を始めたところ、本来海中に没する筈のない通風筒から、海水が流れ込み、必死の排水作業もむなしく機器がショート、海底に沈降してしまった。
その時の深度は15.8メートルである。

艇内では、ガソリンの臭いや、ショートしゴムが焼けたガスが充満し、乗務員を次第に呼吸困難にしていく。
それでも、手動排水ポンプを必死に動かすもの、パイプの裂け目を布で抑え少しでも浸水を抑えようとするもの、みな最後まで、持ち場で精一杯の作業を続けた。
しかし、もはや万策尽き、死を免れられぬと悟った、艇長、佐久間大尉は、遺書をしたためたのだった。

そのころ、海上では浮上してこない「第六潜航艇」が、不測の事態に陥ったと見て、救難活動に入っていた。
4月17日、ようやく引き上げられた「第六潜航艇」。
吉川司令官が検分のため、中に入ると、そこには驚くべき光景が見られた。

なんと、すべての乗務員が自分の持ち場で息絶えていたのである。

潜水艇でこのような事故が起こると、乗務員はみな逃げ出すためにハッチに殺到し、挙句の果てには殺し合いまで起こる例もあり、「第六潜航艇」内も、そのような阿鼻叫喚の地獄絵図が繰り広げられていることを、司令官も覚悟していたのである。
さらに、佐久間大尉の胸ポケットからは遺書が見つかった。

39ページにわたる遺書、その一部を紹介しよう。

小官の不注意により陛下の艇を沈め部下を殺す、誠に申し訳なし、
されど艇員一同、死に至るまで皆よくその職を守り沈着に事を処せり、
我等は国家の為め職に斃れしといえども、ただただ遺憾とする所は
天下の士はこれの誤りもって将来潜水艇の発展に打撃を与うるに至らざるやを、
憂ふるにあり、
願わくは諸君益々勉励をもってこの誤解なく潜水艇の発展研究に全力を尽くされん事を
さすれば我等一つも遺憾とすることなし、

sakumaisho
遺書の現物

佐久間大尉この時30歳、死に際して、この名文、恐るべき精神力と言わざるを得ない。
お詫び、部下のこと、潜水艇の未来、これを遺漏なく書き上げるには、常日頃からの心がけが見事でなければ不可能だ。
彼の部下が、持ち場を離れなかったのもうなずける。

この事故と、佐久間大尉の遺書による衝撃は、日本はもちろん、諸外国にも伝わり、ニューヨークタイムズやオーストラリアの「ジ・エイジ」等に大きく取り上げられた。

「佐久間と乗務員たちは、個人の勇気を示しただけではなかった。彼らは、日本海軍は死すべき運命にあるときも、勇敢で平静を保てることを証明したのだ」

(ジ・エイジ)

欧米の海軍では、軍人の模範として、今でも佐久間大尉以下13名の行動を教えられており、また、その遺書はアメリカ議会に陳列されている。

日本でも戦前は東郷大将、広瀬中佐と並び、学校で教えられてきたが、今その名はどこにも見られない。
軍人であるがゆえに。


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参考文献
日本人だけが知らない 世界から絶賛される日本人
黄 文雄
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