2011年07月15日 12:18
以上引用わおり閣僚から脱原発批判 首相「私的な思い」
中野寛成国家公安委員長は15日午前の閣僚懇談会で、菅直人首相が「脱原発」を打ち出したことについて「首相の発言が混乱を招いている。閣僚はそういう話を聞いたことがない」と批判、原発問題に関する閣僚懇の開催を求めた。首相は「私的な思いを述べた」と釈明。枝野幸男官房長官は、来週前半に閣僚懇を開く考えを示した。
これに関連し、野田佳彦財務相は記者会見で「短兵急に進める話ではない。政府としてこれから丁寧に議論しなければならない」と述べ、脱原発は政府方針ではないとの考えを強調した。
2011/07/15 11:18 【共同通信】
私的な思いってw
そんなもんチラシの裏にでも書いとけ!
おめーは総理だから記者会見もでき、全国、いや全世界に発信できんだろうが、
個人としての“菅直人”の感想なんか、だれもなんにも興味ないんだよ。
個人としての会見だったら、会見にかかった費用、あの会見で株価が下がるなどの被害を受けた企業の賠償、テレビ取材、放映料の費用、全部個人で出しやがれ!
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コメント
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Re: (注)脱原発は個人的な感想です
1972年版 中経出版『日本の歩みと世界』(監修:豊田武)より
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4世紀の後半になると、大和朝廷は、朝鮮半島に勢力を広げた。そのころの朝鮮半島には、北に高句麗、その南に新羅と百済が国を建てていた。大和朝廷は、まとまりの遅れていた南の任那をおさえ、そこを足場に、一時、百済・新羅を従えて高句麗と戦った。
いっぽう、5世紀には、中国が南と北とに分かれた(南北朝時代)。大和朝廷は、朝鮮半島南部における日本の立場を認めてもらおうとして、南の王朝にたびたび使いを送った。
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つまり当時の朝鮮半島南部の多くの地域は、日本の支配下にあったということ
その後はどんな風に教えられるようなったか。
以下は小学館の『日本歴史館』(1993年発行)という分厚いカラー図鑑の記述から。
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倭は朝鮮半島内での対立構造によって、その援助が強く期待されることが多く、積極的にその対立に関わった。およそ6世紀の初めまで、そうした構造は維持される。
倭国はそのような関係のもとで、伽耶の南部諸国および百済から先進の文化・技術を入手し、その見返りとして兵力を提供した。そうした出兵で、朝鮮半島内の抗争に巻き込まれることになるが、およそ支配を及ぼすような関係ではなかった。
・・・日本では『日本書紀』の記事のままに伽耶諸国を“任那”ということもあるが、それは本来の正しい用法ではなく、伽耶の一国(金官国)の別の呼び方にすぎない。
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倭国が朝鮮半島に支配を及ぼしていたどころか、進んでいた半島の技術を入手するため倭国が兵力を提供したとか、それまでの日本における歴史観から180度転換
上田 正昭(うえだ まさあき、1927年4月29日 - )は兵庫県出身の日本の歴史学者。
京都大学名誉教授、大阪女子大学名誉教授、西北大学名誉教授。勲二等瑞宝章。修交勲章崇禮章(韓国から)。
門下生に千田稔(国際日本文化研究センター名誉教授)、和田萃(京都教育大学名誉教授)、井上満郎(京都産業大学教授)、灘本昌久(京都産業大学教授)、田中俊明(滋賀県立大学教授)などがいる。
教科書に竹島を記述することについては「するべきでない」と発言。
八木晃介、水野直樹らと一緒に「朝鮮学校を支える会」の呼びかけ人となっている。
( 2011年07月16日 11:10 [編集] )
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