モンゴルと日本の絆

2011年06月14日 11:45

1992年の冬が目の前に迫っていた頃、モンゴルの首都、ウランバートルは深刻な事態に陥っていた。

モンゴル全体の電力の約70%、ウランバートルの熱供給(温水など)の約60%を担っている第4火力発電所が、30%程度の出力しか出せなくなっていたのである。


第4火力発電所

この発電所は旧ソ連の援助で1979年に建造されたものだったが、ソ連の民主化に伴い、ソ連から来ていた技術者は全て引き上げてしまっていた。
さらにはソ連製の部品供給もなくなり、手の打ちようがなくなっていたのだ。

ウランバートルの冬は厳しい。
マイナス30度をも下回る猛烈な寒さになる。
もし、この火力発電所が満足に動かなければ、生活どころかウランバートル市民100万人が生命の危機を向かえる。

このピンチにいち早く動き、救いの手を差し伸べたのが、日本だった。

機材や工具を無償で提供し、急場をしのぐと、その後も継続的に老朽化した火力発電所の改修に、資金と技術者を派遣して支援し続けた。

この事実はモンゴル市民も広く知るところとなり、日本から来た技術者だと分かると、「停電が無くなってありがとう!モンゴルのためにありがとう!」という声が返ってくるそうだ。
また、現地の人は、第4火力発電所のことを「日本プロジェクト」と呼んでいる。

しかもこの支援の本当にすごいところは、モンゴルの人々と日本の技術者が一緒に真っ黒になって働きながら、技術を伝えていったことだ。

技術者たち
それを象徴する話がある。

操作室にパネルが3つある。
1つは旧ソ連時代のパネル、旧式のものだ。
1つは日本の援助で作られた真新しいパネル。
そしてもう1つは、技術協力を経て、モンゴルの人が自分たちで作ったパネル。
日本のものと全く同じとは行かないが、旧ソ連のものとは比較にならない立派なパネルだそうだ。

第4発電所のバヤンバータル所長は言う

「モンゴルにはひとつの言葉がある。『苦労しているときに、友達の性格がわかる』と。日本の支援には本当に感謝している」。

こういう背景があったからこそ、モンゴルの人々は震災を受けた日本に対し、全公務員に1日分の給与を募金するように呼びかけるなどして、多額の募金を送ってくれたのだ。
ありがとうモンゴル。


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参考サイト
ODA民間報告 外務省
電気新聞「モンゴルの発電所事情」 ※PDF
映像で見る日本のODAプロジェクト 外務省

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