原発停止「歴史が評価」という菅

2011年05月14日 15:24

菅首相「評価は歴史の中で」 浜岡原発停止要請で 朝日新聞

 菅直人首相は13日の参院予算委員会答弁で、浜岡原発の全原子炉停止を中部電力に要請したことについて「私の政治的な判断、(海江田万里)経済産業大臣を含めた政治判断で、評価は歴史の中で判断してほしい。国民の安全と安心のための決断だ」と述べた。

以下略

以上引用終わり

評価は歴史の中で判断してほしい。

かつてこれと同じようなことを言った政治家がいた。

第56・57代内閣総理大臣 岸信介である。

俗に60年安保と言われる日米安保条約を調印・批准するに際し、猛烈な反対運動(安保闘争)が起こり、首相官邸は13万とも33万とも言われるデモ隊に取り囲まれる。

その世論におされ、首相経験者3人(東久邇宮稔彦王、片山哲、石橋湛山)も岸に辞職勧告をする。

デモ隊と機動隊、右翼の衝突の中、東大の樺美智子さんが圧死するなど、ますます岸にとって逆風が吹き、自衛隊が防衛庁長官の治安出動を拒否するという事態まで起こり、デモ隊が官邸に突入することも時間の問題と思われた。

官邸で実弟の佐藤栄作と死をも覚悟した岸だが、安保の撤回や修正は頑として受け付けなかった。

喧騒に包まれながら、参議院に送られずに安保条約は自然成立、そして批准された。
その批准の日、岸は「私のやったことは歴史が判断してくれる」と述べ、混乱の責任をとってその場で辞意を表明した。

辞任直前には暴漢に襲われ、瀕死の重傷を負っている。


岸には日米安保が日本のためになる、という確固たる見通しと信念があった。
だからどんな逆風にさらされようとも、揺らぐことはなかった。

そういう人が言う
「私のやったことは歴史が判断してくれる」
という言葉は重い。

実際、日米安保はこの後の日本の繁栄の礎となった。

かたやどちらかと言えば世論に迎合し、確固たる将来への見通しもなく、同じところは逆風にあっていることくらいか、しかしその逆風も岸の比ではない。

そういう人が言う
「評価は歴史の中で判断してほしい」
という言葉は軽い。

世論はどちらかと言えば賛成だろう。
歴史に評価を求める必要はないのである。
堂々と己の信念と判断の根拠を述べればいい。
それができないからこんなことをいうのだ。

中電に下駄を預けた次は歴史に下駄を預けるのか?
岸は逃げなかったが、菅は逃げているだけだ。

何年後になるかわからないが、本当の意味で、この判断の、菅内閣の、歴史の評価が定まるだろう。
暗黒の2011年、平成の壊国と。

人気ブログランキングへ
人気ブログランキングへ 
関連記事
スポンサーサイト





コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://andreagritti.blog112.fc2.com/tb.php/1177-e95b966a
    この記事へのトラックバック


    最近の記事