思考停止の「極論」

2011年01月08日 18:32

かつて、失われた10年と言われ、閉塞感が世相を覆った頃、分かりやすいキャッチフレーズと強権的な手法で、人気を博した政治家がいる。

名を小泉純一郎という。

民衆は拍手喝さいして彼を支持し、実に1980日の長期政権を保った。
彼の在任中、日本は2%前後ながらも成長し続け、閉塞感は払拭されたかに見えた。

しかし、それは“かりそめ”だった。

日本の名目GDPは、バブルが崩壊した1992年以降一向に成長してはいない。
[世] [画像] - 日本の名目GDPの推移(1980~2010年)

先進各国が成長しているのに、だ。

そして今再び、閉塞感が日本を覆おうとしている。
厳しく難しい時代だ。

このようなとき、歴史的に見ても、民衆は分かりやすく、強い指導者を求める傾向にある。

日本が抱える、複雑で正解がない、あちらを立てればこちらが立たないという数々の問題を、強い指導力で単純明快に解決して欲しいと願うからだ。

単純明快な方法、それは大抵の場合「極論」と呼ばれるものになる。
問題が抱える様々な関連性や背景を、一刀のもとに切り捨て、単純化してしまう方法論だ。
例えば、小泉純一郎が唱えた、『「郵政改革」をすれば、日本の構造改革は全て解決する』というようなものだ。
実際日本の構造は全く改革されなかった、と思う。
もとより、一国の構造改革がそんな単純なものであるはずがない。

100%の解答がない中で、調整に修正を繰り返し、多くの骨を折って改革改善を進めていくしかないのだ。
しかし、そのような面倒臭く、わかりにくい改革は国民に受けはしない。
国民は変わらない現状にいらだっているのだ。

コイズミのあと、国民の苛立ちは、安倍、福田、麻生と3代続けて約1年で政権を下ろし、政権交代まで実現させた。
けれど、鳩山政権はその期待に全く答えることができず、さらに短い266日の在任期間で終わった。
後を受けた菅内閣も息絶え絶えである。

国政が混迷を深める中、地方自治体では、ある種「コイズミ」的な首長が生まれ、支持を受けている。
大阪の橋下知事や、名古屋の河村市長、東京の石原都知事などである。

彼らの唱えるキャッチフレーズは分かりやすく、行動も単純明快で強権的でもある。
その行動に幾らかの成果が現れている面もあるだろう。

彼らに似た政治家が国政でも再び、現れる日が近い将来くるかもしれない。
そうなれば、小泉純一郎の様に支持を得て、強権を振り回すことになるだろう。
国民はそういう指導者に飢えている。
そして、国民は彼に任せることによって、一時のカタルシスと引き換えに、長い期間代償を払うことになるだろう。

「極論」的な改革は、決して物事を解決することはできない。
解決できるかのように“錯覚”させるだけだ。

正解は極右にも極左にもない。
財政赤字を消して日本を大きく成長させる、魔法のような経済政策も存在しない。
一瞬で社会を変える特効薬もない。

「極論」に飛びついてはならない。
「極論」は考えることを放棄し、論理的思考を省略した、白か黒かの結論だから。
安易な考えの中に、真理は宿らない。
どんなに苦しくても投げ出さず、最善な方法を模索し、それを国民に説明して物事を進めていく、そんな政治家に国政を委ねなければいけない。

次の総選挙でまたも選択を誤ったら、「失われた30年」ではすまないだろう。

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コメント

  1. noga | URL | sqx2p0JE

    Re: 思考停止の「極論」

    先の大戦では、日本人は精神主義で戦って、みじめな敗北を喫した。
    日本人の精神力が足りなかったために、戦場においても工場においてもアメリカ人の精神力に負けたのだと考えていたとしたら、それは日本人の誤りである。

    日本人には、意思がない。だが、恣意がある。
    だから、日本人には能動はないが、願望はある。
    米空軍が日本の都市を爆撃し始めたころ、航空機製造業者協会の副会長は「ついに敵機は我々の頭上に飛来してまいりました。しかしながら、我々航空機生産のことに当たっておりますものは、かかる事態の到来することは常に予期してきたところでありまして、これに対処する万全の準備をすでに完了いたしております。したがいまして、何ら憂慮すべき点はないのであります」と述べた。
    すべてが予知され、計画され、十分に計画された事柄であるという仮定に立つことによってのみ、日本人は、一切はこちらから積極的に欲したのであって、決して受動的に他から押し付けられたものではないという、彼らにとって欠くことのできない主張を持続することができた。

    日本人がどこで希望的観測の罠に落ちるのか、現実と願望 (非現実) を取り違え精神主義に走るのか、きちんと振り返り反省することはほとんど不可能である。
    それは、日本語に時制がないからである。
    日本語脳においては、現実と非現実を異なる時制を使って表現することができない。
    現実を現在時制の内容として表し、願望を未来時制の内容として表すことができれば、それぞれの内容は別世界の内容となり、混乱することはない。混乱しなけれぱ゛キリスト教のような宗教になり、混乱すれば原理主義となる。

    だがしかし、我が国では、一つの事態の肯定と否定は、同じ世界のこととして言い表される。
    人々は、無為無策でいながら現実が願望へと突然変化 (反転) することをひたすら願うものである。
    言霊の効果の出現を望んでやまない。
    必勝を心の底から祈願すれば、悲惨な玉砕もあっぱれな勝ち戦に見えてくる。
    実現不可能な欲望の思い込みが強すぎて、現実直視は困難になる。
    これが、日本人の精神主義の本質である。
    日本人は、祈願を他力本願・神頼みとしておおっぴらに認め合っている。
    問題解決の能力はないが、事態を台無しにする力は持っている。
    この閉塞状態が日本人の知的進歩の限界となっている。

    http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
    http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

  2. 慶次郎 | URL | kU3g/2a6

    Re: 思考停止の「極論」

    普通の国なる・国民は国家が守る・軍事力は外交手段として日本が生きていく糧である・憲法は各国に見習い常識の範囲で変える・武器製造は国富ももたらす。この事をはっきり言える政治家と、理解できる国民の頭が有れば可能。
    具体的には、安部首相が提言された「戦後レジュームからの脱却」が全てでしょう。

  3. きつね | URL | -

    Re: 思考停止の「極論」

    上の人へ、おめでたい定型化で分ったような気がしているだけ。

  4. きつね | URL | -

    Re: 思考停止の「極論」

    ごめん、上の上の人です。

  5. グリッティ | URL | l7H4TccY

    皆様コメントありがとうございます。

    慶次郎様
    >この事をはっきり言える政治家と、理解できる国民の頭が有れば可能。

    「理解できる国民の頭」の方が政治家より心配な気がします…

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