国歌は歌、国旗は布

2008年02月10日 22:02

君が代判決―都教委は目を覚ませ

卒業式の君が代斉唱で起立しなかったからといって、定年退職した都立高校の教職員らの再雇用を拒むのは、裁量を逸脱、乱用したもので違法だ。東京地裁がこう判断し、13人に計2700万円の賠償を支払うよう東京都に命じた。

 東京都では国旗・国歌への強制ぶりが際立ち、抵抗する教職員が次々に処分されている。定年を控えた教職員に対しては再雇用をしなかった。こうした処分に対する訴訟も相次ぎ、今回の判決はそのひとつだ。

 国歌斉唱で起立しなかったことは、ほかの教職員や来賓には不快かもしれないが、積極的に式典を妨害するものではなく、再雇用を拒否するほどのものか疑問だ。これが判決の論理である。

 私たちはこれまで社説で、「処分をしてまで国歌や国旗を強制するのは行き過ぎだ」と主張してきた。様々な歴史を背負っている日の丸や君が代を国旗・国歌として定着させるには、自然なかたちで進めるのが望ましいと考えるからだ。

 今回の判決は都教委の強制ぶりを戒めたもので、評価したい。

 再雇用拒否の当否が争われた裁判では、東京地裁の別の裁判長が昨年、都教委の主張を認めた判決を出している。「一部の教職員が起立しないと式典での指導効果が減る」との理由だが、再雇用を拒むほどのことではないという今回の判決の方が常識にかなっている。

 今回の裁判でもう一つの論点は、起立させる校長の職務命令は、思想・良心の自由を保障した憲法に違反するかどうかだった。判決は「職務命令は原告らに特定の思想を持つことを強制したり、禁じたりしていない」として合憲とした。

 この点については、東京地裁の別の裁判長が06年、都教委の通達や指導を違憲と判断した。その当否は別として、裁判官によっても分かれているほど判断が難しい問題を、教育の場で一方的に押しつけるのは好ましくない。

 今回の判決を機に、都教委には改めて再考を求めたい。

 都教委の強硬姿勢が際立ったのは03年、入学式や卒業式での国旗掲揚や国歌斉唱のやり方を細かく示す通達を出してからだ。この通達のあと、延べ400人近い教職員を戒告や減給、停職の懲戒処分にした。再雇用を拒否された人は、今回の原告を含めて約40人にのぼる。

 教職員は君が代斉唱の時に、踏み絵を迫られる。立って歌っているかどうかを確認するため、校長だけでなく、都教委の職員が目を光らせる。

 こんな光景が毎年繰り返された結果、残ったのは、ぎすぎすした息苦しい雰囲気である。子どもたちの門出を祝い、新しい子どもたちを迎える場としては、およそふさわしくない。

 あまりに行き過ぎた介入は教育そのものを壊してしまう。今年も卒業式や入学式の季節が近づいているだけに、都教委にはそろそろ目を覚ましてもらいたい。

朝日新聞社説より引用



国旗、国歌は国を象徴するもの。
よって当然敬意は払われるべきだ。

以前スポーツの国際試合で観戦に来ていた韓国人選手が君が代斉唱の時、起立しないことがあったが、これとなんら変らない行動を公務員である教師がするのはマナーを知らなさすぎる。

日の丸、君が代にどんな血塗られた歴史があると考えていようとも、国旗、国歌は日本の歴史を通してすべて時代、全国民の象徴であろう。
ある一時代を取り上げて否定するのは浅はかだ。

第一、そのように意地を張っているのは国旗、国歌に対してであって日本国そのものではない。
教師たちだって本意は日本国に対する意思表示なのだろう?
国旗は布でしかないし、国歌はピアノ伴奏かテープでしかない。
それらに意思表示をしてなんになろう?
日本の本質に問題があると思っているなら、もっと別のシーンで行動すればいい。
大人げない。

これは都教委にも同じことが言える。
指導すべきは日本のあり方であって、国旗や国歌に矮小化してはいけない。
型から入るのもわからないではないが、雇用にまで影響させるのはやりすぎ。

もっと本質的な問題で争えよ!せめて

国旗や国歌に敬意を払うのはマナーの問題。
思想信条は自由だがマナーは守るべき。
これでは生徒たちに、自分の考えと違ったらマナーを守らなくてもいいと教えているようなもの。

朝日新聞も含めて目を覚ましてもらいたい。

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