「日本最後の栄光は、安倍氏とともにあった」

2022年07月09日 16:04

このブログは2007年9月に開設した。

自己紹介的な記事のあと、最初に記事にしたのが、安倍第一次政権の辞任劇についてだった。
→ 
安倍元首相の青臭さ

それから、悪夢の民主党政権を経て、安倍氏は再起し、7年に及ぶ長期政権を担い、日本をリードし世界にコミットし続けた。
今、ホワイトハウスに半旗が掲げられ、エリザベス女王が声明を出し、中国のネットやニュースでかつてないほど採り上げられている、それほどの影響力をもった日本人がかつていただろうか。

民主党が政権をとった夜、このあとすべての日本人がこの選択を後悔する日が来ると予言した。
→ 
今日この日から、これからが本当の闘い

今一度、予言するならば、
「日本の栄光は2022年7月8日、安倍元総理のご逝去ととも終焉した」と言われるときが来る。

前回の予言は当たったが、今回の予言は外さなければいけない。

「日本最後の栄光は、安倍氏とともにあった」、と後世の人々に言われないよう、残されたものは努力しなければならない。

心から哀悼の意を捧げます。
安倍さんと同じ時代を生き、過ごせたこと感謝いたします。
ありがとうございました。
ゆっくりとお休みください。


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サッカー日本代表が最後に残したもの

2018年07月03日 15:24

20180703WC

FIFAの運営スタッフ Priscilla Janssensさんのツイート(現在は削除されています)

「これは、ベルギー戦に敗北した後の日本代表のロッカールームです。スタジアムでファンに感謝し、ベンチもロッカーも全てを掃除して、メディアに話した。ロシア語で「ありがとう」というメモまで残して。まさに全てのチームのお手本! 日本を迎えられて、光栄だわ!」



トーナメントでは惜しくも敗戦となりましたが、その行いは真のチャンピオンでした。
日本サッカーチームのメンバー・スタッフの皆さん、本当にありがとうございました。

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熊本空港再開 乗客は一人

2016年04月20日 17:49

熊本空港から再開後初の出発便 乗客は一人 産経新聞

 ターミナルビルが被災したため閉鎖していた熊本空港では、19日運行が再開され、日本航空や全日空などが到着した。 午後はこの日唯一の出発になったフジドリームエアラインズが同空港から愛知県の小牧空港に向け出発した。
 
 乗客は一人で、ターミナルビルが使えないため駐機場付近の門で出発手続きやセキュリティーチェックを行った。

以上引用終わり

再開の1歩。
20160419saikai2.jpg
乗客は1人。

20160419saikai.jpg
フジドリームエアラインは愛知県小牧へ飛び立った。

乗り越えよう、何度でも。

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韓国の大学教授『韓国が日本を無視しても構わないニダ』

2015年09月27日 12:06

20150927bakankoku.jpg

韓国の大学教授が寄稿して、韓国を代表する新聞に掲載され、わざわざ日本語版でまで掲載されたコラムがこちら ↓

【寄稿】韓国が日本を無視しても構わない理由 朝鮮日報


こんなテーマで寄稿すること自体異常だ。

 全世界で日本を堂々と無視する国は韓国しかないという。客観的な指標だけを見れば「実にばかげたことをしている」と言われても仕方がないだろう。ところが日本という国は、多少無視しても構わない。日本は最初から「帝国」になれるような国ではなかったのだ。そんな国がリーダーになろうとじだんだを踏んだために、東南アジアの多くの国々が迷惑を被ったのが20世紀半ばまでの東アジアの歴史だった。


日本を無視するのは韓国しかない → 多少無視しても構わない → 日本は帝国になれる国ではなかった
?? どういう論理構成なのか、皆目分からない。相変わらず感情的結論が先で、理由を後から持ってくる。

 ある国が帝国になるためには、次の条件をクリアしなければならない。軍事力、経済力、文化力の三つだ。軍事力と経済力は、一人で努力して準備すればいい。しかし文化力は違う。周辺の国々がその国の文化をうらやましく思い、心からその国の一部になりたいと願ったときにこそ初めて帝国は誕生する。アテネがそうだったし、ローマがそうだったし、現在の米国がそうである。


アテネは帝国であったことはない。都市国家から各地へ植民はしたものの、都市国家の枠を超えることはなかった。

ローマは後に帝国となったが、その文化はギリシャの影響を強く受け、ローマ人自体もそれを隠そうとしなかった。(実際ローマ貴族の子弟はアテネへ留学に行った)
ローマの文化に憧れる、ということはイコールギリシャ文化に憧れることになるため、この論は当たらない。

アメリカは帝国なのか?一国しか支配していないが。

 それでは、日本は東南アジアの多くの国々がうらやましがるほどの国だったのか。実は少しの間そうだった。開花期の韓国の知識人たちは、西洋文明で彩られた日本をモデルとして考えた。しかし、それは本当に短い間だった。当時の日本をじっくりと観察してみたところで、これこそ文化だと認めるに値するものが存在しなかった。さらには、日本は自分たちよりも植民地の水準の方が高いということを見抜けなかった。周辺の先進文化を抹殺するために、ありとあらゆることを行った。


日本は自分たちよりも植民地の水準の方が高いということを見抜けなかった…、ないものは見抜けませんねえ。

 善なる循環が成立するためには、帝国が周辺の国々を包容しなければならない。しかし、日本はそうしなかった。自分たちは一等国民で、自分たちが占領した国々は二等国民と見なした。差別がなく、誰でも能力さえあれば最高の位置に上り詰めることができる国こそが帝国だ。


ローマ帝国でもローマ市民権のあるものと属州民、奴隷と身分差はあった。

 ローマは、すぐ隣の山岳民族であるサムニウムと40年間にわたって戦争を行った。戦争で勝利した後、ローマはサムニウムを侮辱する代わりに市民権を与えた。終戦から20年後にオタリウス・クラススという人物が執政官に就任する。オタリウスはローマの貴族ではなく、サムニウムの農家の出身だ。開放と革新が帝国の基本条件というわけだ。


サムニウム戦争終結から20年後と言うと紀元前270年だと思うが、「オタリウス・クラスス」なる人物は執政官リストの中に見つけられない。
ていうか、全ての執政官リストからも見つけられない。

執政官になるには、財務官→按察官→法務官、という手順を踏まねばならないので(ハンニバルを破った大スキピオなどの超例外は除く)、サムニウムのオタリウスとか言う人が、すぐに市民権を貰ったとしても20年で執政官になるには余りにも時間がなさすぎる。

この人実在するの?誰か教えて(笑)

 日本は韓国を35年間にもわたって支配した。ローマのやり方に当てはめれば、その期間に能力のある韓国人が首相に就くべきだっただろう。モンゴルのチンギスハンは、育ての父に裏切られ、わずか19人の支持者と共に必死の脱出を図った。やがてバルジュナ湖で一息ついたチンギスハンは、湖の泥水をすすって、かの有名な「バルジュナ湖の誓い」を交わす。忠誠を尽くして信義を守るといった趣旨の誓いで、三国志の「桃園の誓い」に次ぐ中国最高のイベントだ。


首相は出なかったが、議員は輩出している。(朴春琴 衆議院議員[選挙で当選・東京選挙区] 貴族院には朴泳孝ら数人)
軍隊にも高級将校、洪思翊中将、趙性根中将ら数人。

この19人のうちモンゴル人は一人しかいなかったし、残りは他の氏族の出身だった(その一人のモンゴル人でさえチンギスハンの実の弟だ)。氏族を重視するモンゴルの伝統からすれば、考えられないことだった。生まれ持った先天的な条件を問題視しないこと、これこそがモンゴル帝国が世界を制覇した真の原動力だった。一方の日本はどうだったのかについては、言及する必要もないだろう。


モンゴル人は一人とかいうけど、これって部族の話でしょ。
民族としては19人皆同じ。同じ言葉しゃべってるし。

 ある人々は、日本人から学ぶこととして他人に対する思いやりと迷惑を掛けまいとする気配りを挙げる。自分の息子がテロ集団に人質として捕まって命が危ないというときに「物議を醸して申し訳ない」とひたすらこびる老母の姿は、そのように見えなくもない。しかし、これは美徳ではなく単なる病気だ。強要された近代化の結果だ。


近代より以前からそういう文化だったんですけど。
近代化関係ありません。

 日本は共同体の利益を優先する近代化の道を進んだことで、その間に自由な「個人」はなくなってしまった。そのため「私」よりも「私たち」をより優先させ、ともすると「スミマセン」を乱発するのだ。褒められたものではない。よって、日本が周辺国に対して過去の歴史について言及するなら、文章の始まりはこうあるべきだろう。「スミマセン。空気も読めずに場違いな振る舞いをしてしまいました」


場違いなコラム書いてるのあんただよ。
それにしても酷い結論。品位品格と言うものが文章から全く感じられない。

もっと文化と言うものを積み重ねてから文章を書くようにしよう。
先進文化のある国の大学教授さん(笑)


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YS-11復活フライト!

2015年05月30日 07:56

少しupが遅くなってしまったが、大変嬉しい事があった。

戦後初の国産旅客機YS-11の復活フライトである。


20150530YS-11.jpg

YS11無事着陸、操縦室の5人抱き合って喜ぶ 読売新聞

「皆さん、来ましたよ」。

 国産旅客機「YS11型機」が高松空港(高松市香南町)に着陸した27日、空港の展望台や隣接する公園には大勢の航空ファンが駆けつけ、同機が雄姿を見せると大声が上がった。

 この日、空港周辺にはインターネットなどで飛来を知った人々が集まり、大阪府堺市の男性公務員(33)は「何十年も前に作った飛行機がまだまだ飛べる所に、国産技術のすごさを感じた」とうれしそう。滑走路南の公園で撮影した高松市の会社員の女性(24)も「飛んでいる姿がかっこよくて、見応えがあった」。

 無事着陸した後、操縦室の5人も抱き合って喜んだといい、YS11型機の副操縦士として約40年前にパイロットデビューした村田敏太朗さん(66)も「再び操縦かんを握ることができ、子供のようにはしゃいでしまった」と笑顔で振り返った。





独特のキーンという高いエンジン音、双発の美しい機体、再び空を飛ぶ姿が見られて本当に良かった。

スクラップ寸前の機体を蘇らせるこのプロジェクトを成し遂げた「エアロラボインターナショナル」の皆さん、本当にありがとう。

以前に記事にした事があるが
 → 
翔べ!再び 国産の翼 2008年03月30日 オススメ!
戦後日本復活の象徴の一つ、YS-11を失わなかったと事は非常によかった。

今進行している、MRJやホンダジェットのプロジェクトも上手く進行し、日本の航空技術がうまく継承していけるよう期待したい。


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