2016年11月20日 14:01

「君の名は。」観てきましたよ。
映画館は大盛況で、若い子が多いにしても、年配の方や中年層も結構いて、全年代が見に来ている感じでしたよ。
感想は、まあ結構言いたいことがあるのですが、興行収入100億?200億?とか言う中で、少数意見だろうということでじっと胸に秘めてきましたよ。
でもね、この記事を読んでいたら ↓
なぜオジサンたちは『シン・ゴジラ』と『君の名は。』のヒットを理解できないのか BEST TIME
いささかムカついてきたので(当方40代のおじさんですよ、ええ)、書かせてもらいます。
以下ネタばれ含みますので、観ようと思っている方はご承知置きを。
アニメ映画なんてファーストガンダム以来ですがアニメには全然拒否感ないですよ、「君の名は。」の絵もおたくっぽいとか、受け付けられないなんてことはなかったです。
新海監督作品は「秒速5センチメートル」と「言の葉の庭」を観て行きました。両作品とも抒情的な良い作品で、期待値も上がったかもしれません。
でもね、これ、どこで泣くところがあるの??
一体何が感動するの?
最初っから最後まで視聴者おいてけぼり。
感情移入なんてできやしない。
突っ込みどころが満載過ぎて、“もれ”があるかもしれませんが、行きます。
東京に住む男子高校生、瀧と、飛騨に住む女子高校生、三葉が眠っている間に入れ替わる、いわゆる「転校生」的なやつですけど、「転校生」の場合は、知り合いと入れ替わっているわけだから、まだ自分の置かれている状況がわかる(誰と入れ替わって何処にいて何をしなければいけないか)が、「君の名は。」の場合、全く見ず知らずの人間と入れ替わっているわけである。
これで発狂しない方がおかしい。
これは想像力の問題です。
自分が目を覚ましたら異性の誰かさんに身体になって、何処だか知らない町の他人の家にいるわけですよ?
自分の頭がおかしくなったと思わないやつはいまい。
親なり家なりに電話するだろ一番に。
病院いくだろ普通。
なんで他人になり変わって普通に学校行ってんだよ、てかなんで学校わかるのか。
そんでもってその時点ではまだいいとしても、最後までなぜ瀧と三葉が入れ換わることになったのか、説明がされない。
三葉の方はまだ神主の家系で昔からそういうことがあった等の逸話が出てくるが、それにしたってなぜ瀧でなければいけないのか、という理由付けがない。
SFだろうがファンタジーだろうが、それなりの理屈が必要でしょう。話にリアリティを出すためには。
階段から絡んで落ちたとか言ういい加減な根拠でもいいんですよ、それすらない。
入れ替わりがなくなって、瀧が記憶を頼りに三葉を探しに行くんだけど、行ってみたら3年前の隕石落下で街ごと無くなってて三葉も死んでいたって衝撃の事実が発覚、てね、その大事件を瀧は知らないんですよ。
隕石落ちて町が無くなったんですよ、有史以来そんなこと起こったことがない大事件ですよ、CNNもBBCも連日報道したでしょうよ、それを、しかも3年前日本で起きたのいうのに知らない…そんなバカな。
そんで三葉を助けるためにもう一度入れ替わりを起こそうと、瀧は三葉の神社のご神体?みたいなのがある山の頂上へ行くんだけど、(この山、三葉はおばあちゃん背負って登ってた(笑)どんな体力だよ!お前は災害救助の自衛隊員か!)そのあたりからもうなんだか二人は相思相愛なんです。
え?え?いつからそういうことになったの?全然そんなエピソードなかったけど?
瀧の努力のかい?あって入れ替わりに成功、瀧になった三葉は村人たちを隕石落下から救うために落下でも無事だった学校に避難させようとする。
その作戦の中で、友人二人が協力してくれるんだけど、なんで協力してくれるのかまるでわからない(笑)麗しき友情なのだろう、そうに違いない。
作戦計画も恐ろしい、町の発電施設?を爆破(笑)して停電させ、それをしおに避難させようというもの。なんで協力するのか分からない友人はテロ行為までして協力するのだ(笑)もちろん麗しき友情。
作戦計画が露見し、町長が三葉の父親なんだけど、町長を説得して村人を避難させようと展開になる。
当然、そんな荒唐無稽な話を信じてもらえるはずもなく、一旦は拒否されるのだけれども、切羽詰まった三葉の説得に応じたのか、町民は避難して全員助かることになる。
その、大切な説得のシーンは…カット(笑)
まあ、ここまでの話は苦笑いですむ。
でもね、結局隕石落下という災害で亡くなった人々を助けちゃったんだよねこれ。
まあファンタジーだから、助けてもいいじゃん、なんてことは絶対にない。
助けたい、助けられたらいいな、と思うことと、現実に生き返らせてしまう、ということは天と地ほど違う。
死んだものは生き返らない、という原則はたとえ物語とは言え、犯してはならないルール。
ドラマを描くのなら、助けたいという痛切な想いと、現実の壁をハッキリと描くべきだ。
その葛藤の中にこそヒューマンドラマがあるのだ。
こんな安易な設定で、一つの災害で亡くなった多くの人を生き返らせ、二人も出会って大団円って、亡くなった人々の親類縁者や関係者、全ての人の3年間の想いをゴミ箱に投げ捨てるような行為。
「死」という厳粛な事実に対する冒涜。
災害死というものを、恋愛映画の道具のひとつにされたような不快感がある。
「秒速5センチメートル」や「言の葉の庭」を撮った新海監督の人の心情に迫る能力は何処へ行ったのか。
いつ入れ替わるのか、どういう時に入れ替わるのか、そういう決めごとがないことから始まっている映画だから、最後まで基準も決まりもつかない話になっている。
そういう話には視聴者はついていけない。
でも大ヒット中なのだ。
この理由は「ドラゴンボール」と「ワンピース」で説明できる。
ドラゴンボールの主人公、悟空はエライ人に修行付けてもらったり、凄い修業をしたりして強くなり、様々な強敵を倒していく。
一方ワンピースのルフィはゴムゴムの実を食っただけで、様々な強敵を倒していく。
同じようなバトル系大ヒット漫画でも、時代の違いでこうも違う。
つまり悟空の強さには修行などの裏打ちがあるが、ルフィの強さには実を食っただけという根拠しかないのに、ルフィが強い事を読者は納得してしまうのだ。今の読者は。
ルフィが強い事に納得できる層は「君の名は。」にも納得できるに違いない。
ドラゴンボール世代の私には納得できませんよーはいはいやっぱり40代は納得できないのね。
いい加減な設定と極めて浅い人物描写を美しい絵で描いた恋愛映画、綺麗な絵を観たい人、RADWIMPSファンの人、そして「ワンピース」好きななあなた、おススメします。
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