まだ終わらない震災

2012年03月11日 14:46

東日本大震災から、今日で1年を迎える。

あらゆるメディア、多くのブログがこの事を取り上げるだろう。

それはよい。

それはよいが、被災地では、1年の区切りと言う事は関係なく、生活の中にまだ、震災があることを、忘れてはいけない。

阪神淡路大震災の時、発生当初は多くの報道がなされたが、その後、地元メディアでは長い間連日震災報道があったものの、全国ネットではどんどん報道量が少なくなっていき、流されないニュースが数多くあった。

その温度差に愕然としたものだ。

東日本大震災はまだ終わってはいない。

まだ行方不明者が3167人、仮設住宅で暮らしている方が約26万4000人、数多くの精神的、経済的に生活の再建が出来ていない方々がいる。
 → 死者・不明者1万9009人 東日本大震災きょう1年 河北新報
 → 東日本大震災あす1年 仮設暮らし26万4000人 河北新報

この事実を我々は忘れてはいけない。
目をそらせてはいけない。

1年の区切りごとに思い返す、そういう歴史的な出来事にするには、まだ早い。
大震災は、多くの被災者にとって、進行形なのだから。


私たちの祈りと思いは被災者すべてと共にある 2011年03月12日
タイトルのエリザベス女王陛下のお言葉をはじめ、震災に遭遇した日本への各国の言葉。

日本を一変させた一週間 2011年03月20日
震災の画像集。

Pray for Japan(日本のために祈る)地震で生まれた心に残るつぶやき 2011年03月27日
震災のツイート集とその動画。

石巻日日新聞の奮闘 2011年04月17日
これぞ本当のジャーナリズムだ!

もう一人のトモダチ 2011年04月24日
震災後最初に首脳として来日してくれたオーストラリア・ギラード首相が携えてきた少年の手紙。

震災 無償で食料品などを提供した西友店長 2011年05月01日
「いちいち買い上げ額を計算しては、商品提供に時間がかかる」と本部に相談せず、独断で無償提供を決めた。

被災地に響いたトランペットの音色 2011年05月26日
亡くなった母のために吹いたトランペットは、やがて東京オペラシティの舞台へと繋がっていく。

津波に耐えた一本松の希望 2011年06月05日
周りがすべてなぎ倒されている中、“すくっ”と立ちつくす松は神々しくすらある。

被災地の今 2011年07月11日
くどいけど被災直後の写真ではない。

欧米が絶賛する日本人の美点 2011年08月23日
落し物が戻ってくる国、震災で流された金庫が戻ってくる国、日本。おそるべし。

被災した15歳、涙の「答辞」(全文) 階上中学校卒業式 2011年10月11日
「苦境にあっても、天を恨まず、運命に耐え、助け合って生きていくことが、これからの 私たちの使命です」

トルコを支援する無名の人々 2011年10月28日
人間はかくも高潔になれるものか、日本人とトルコ人の美しき交流。

最後の火葬終わる‐気仙沼‐ 2011年11月20日
「世の中は『復興』にばかり注目するけれど、ここの現実をいつまでも忘れないでほしい」

まだ続く避難所生活 2011年12月24日
雪が吹きすさぶ中、避難所で生活している人がまだいる事を。我々は忘れてはいけない。

被災地の初日の出 2012年01月01日
がれきと重機の向こうから昇る朝日

津波に飲まれる前の最後のメール 2012年02月07日
彼女が打った最後のメール。
いつ打たれたものかわからないが、職務のために死を覚悟した一文がある。


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津波に飲まれる前の最後のメール

2012年02月07日 13:24

南三陸職員の遺体発見 遠藤未希さんの親友 母親「亜梨沙お帰り」 産経新聞

 宮城県南三陸町の防災対策庁舎で津波に流され行方不明になっていた同町職員、三浦亜梨沙さん=当時(24)の遺体が1月に町内のがれき置き場で見つかっていたことが6日、分かった。DNA型鑑定を終え、今月に入り無言の帰宅をした。

 亜梨沙さんは、防災無線で町民に避難を呼び掛け続けて亡くなった同町職員、遠藤未希さん=当時(24)と高校の同級生。剣道を通じて小学生時代からの知り合いで、役場でも仲の良い親友同士だった。

 警察庁のまとめでは、大震災犠牲者の遺体発見は今年に入って2人だけ。母、悦子さん(54)は「もう遺体は戻ってこないと思っていた。『お帰り、遅くなってごめんね』と迎えてあげました」と涙を浮かべた。

以上引用終わり

謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

三浦亜梨沙さんのご遺体は、偶然発見されたのかもしれないが、今年に入ってからも、遺体の捜索は続けられている。

→ 東日本大震災、遺族の心情を思いやる捜索者たち AFP

【1月31日 AFP】東日本大震災の被災地沖では鉛色の冬空の下、今日も海上保安庁の巡視艇が行方不明者の捜索を続けている。


大震災犠牲者の遺体発見は今年に入って2人だけ。

まだ震災は終わってはいないのだ。

24才の若さで命を落とした、三浦亜梨沙さん、さぞかし怖かったことだろう。
彼女がいた、南三陸町の防災対策庁舎は、見るも無残なかたちに変わり果ててしまった。


防災庁舎

彼女も津波がきた時、この建物の屋上に逃げていたに違いない。

防災庁舎加工

彼女が打った最後のメール。
いつ打たれたものかわからないが、職務のために死を覚悟した一文がある。


最後のメール

死を前にして、「助けて」ではなく、親不孝を「ごめん」と謝るその意識。
まさに日本人の意識だ。
彼女にかわって、これを受け継いでいきたい。


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日本を励ます動画と感謝する動画

2011年12月13日 20:50

3・11の地震と津波が起きた時、世界中の多くの人が日本を励ましてくれた。
その様子を捉えた動画がある。


Rise Again, Japan!(たちあがれ再び、日本!)


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この動画に応えて、日本からの感謝の言葉「ありがとう」を届ける動画が生まれた。

We Will Always Remember You(あなた達を決して忘れない)


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何も加える言葉はない。
ただひとこと
「ありがとう」

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台湾と日本の絆

2011年08月27日 11:46

1999年9月21日早朝、台湾南部を巨大な地震が襲った。
台湾大地震(921大地震)である。


921大地震

この時、もっとも早く救援に駆けつけたのが、日本の救助隊であった。
先乗りの1名は、発生当日の現地時間16時20分には台北に到着していた。
続く第一陣15名は、同日の20時50分には台北に入り、以降続々と現地入りしている。

いかに日本と台湾の距離が近いとはいえ、この編成、準備の早さは驚異的である。
また、合計145人という人数は、各国救援隊の中で最多であった。

台湾に入った救助隊は、寸暇を惜しみ現地入りすると、昼夜を問わず救助活動にあたった。
その時、多くの台湾人の胸を打ったのは、残念ながら助けられなかったご遺体の前で、整列して頭をたれ、黙祷する日本救助隊の姿である。

四川大地震の時もそうであったが、中華にはないこの風習・文化に、多くの人が感動した。

四川大地震黙祷
※この画像は四川大地震の時のものです。

日本救助隊が、役割を全うし、帰国のために台湾・桃園空港に現れた時、驚くべきことが起こった。

税関の職員が全員総立ちになって、深々と最敬礼し、職員や空港にいた人々から、期せずして拍手が沸き起こったという。
その光景を見守る人々の中には、感涙に咽ぶ人もいた。

日本救助隊の行動と、その中にある気持ちが、台湾の人々を揺り動かしたのである。

その台湾の人々の思いは、今年、東日本大震災に襲われた日本に、桁外れの200億を超える義援金という形で日本に還されたのだ。

両国を繋ぐ心と心のやりとり、次は日本の番である。
まず、日本はこの災害から見事に立ち直って見せなければならない。
台湾の人々の気持ちに応えるためにも。


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参考文献
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ありがとう!台湾

2011年03月21日 11:45

台湾総統も参加 慈善番組放送 NHK

東北関東大震災で被害を受けた人たちを支援しようと、台湾で18日夜、テレビ各局が合同でチャリティー番組を放送し、馬英九総統や台湾の芸能人が参加して義援金を呼びかけました。

チャリティー番組は、台湾の赤十字と、10以上のテレビ局とラジオ局が合同で企画したもので、18日夜、4時間半にわたって生放送されました。
番組には台湾の歌手や俳優など200人以上が出演し、ジュディ・オングさんやビビアン・スーさんら日本でも活躍する人が加わりました。
日本からもサッカー元日本代表の中田英寿さんが参加して、サッカーのユニフォームとシューズをオークションに出して支援を呼びかけました。
スタジオには馬英九総統も駆けつけ、「友人が困っているときは全力で手を差し伸べよう」と述べて、夫人とともに視聴者からの義援金を電話で受け付けるボランティアを手伝いました。
番組では、日本の被災者を励まそうと作られたテーマソングも披露されました。

主催者によりますと、番組終了までに7億8800万台湾元(日本円にして21億円余り)の義援金が寄せられ、台湾の赤十字を通じて日本に贈られるということです。

以上引用終わり

ありがとう!台湾!

相信希望

これまでの歴史の中で、ともすれば台湾に対して誠実ではなかった日本に対して、これほどの厚い支援をしてくれる気持ちにいつか、応えたいと思う(泣)

番組終了までに7億8800万台湾元(日本円にして21億円余り)の義援金が寄せられ

必ずしも額の問題ではないと言っても…これはすごすぎる。

日本の24時間テレビでも10億前後で推移しているというのに、人口が日本の1/5弱の台湾で倍以上ということは、ひとりあたりで言えば実に10倍以上!!

番組はすごい熱気だったようだ。↓
http://www.rti.org.tw/big5/2011activity/2011fs/index3.aspx

馬総統も出演するというのだから驚きだ。
まあ人気取りという面もあるのだろうが、この番組に出ることが人気取りになることがすごい。

番組のタイトル「相信希望 Fight&Smile」は(希望を信じて)という意味だそうだ。
希望をくれてありがとう。
我々日本人は「相信台湾人」(台湾人を信じる)

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