朝鮮の教科書には載っていない話2

2011年08月17日 14:18

昨日の記事が意外にもw反響があったので、もう一つ、朝鮮の教科書に載っていない話を書いてみましょう。
これは日本の教科書にも書いていないんですけどね。

日本の多くの人が、朝鮮人が日本に対して敵対的なのは、日本が朝鮮半島を植民地支配したせいだ、と思っていると思います。
しかしこれは誤りです。

日本があの時、朝鮮半島を植民地支配(実際は同化政策ですけどね)しようとしまいと、朝鮮人は日本に敵対的なのです。
これから、その証拠をお見せしましょう。


「朝鮮通信使」というものを御存知でしょうか?
これは日本の教科書にも、朝鮮の教科書にも載っています。
主に江戸時代に行われたものを指しますが、朝鮮から日本への使者ですね。
少なくとも日本が朝鮮半島を植民地支配する200~300年も以前の出来事です。

その通信使のうち、1764年にやってきた使節団の中に、金仁謙という人がいました。
彼は日本での滞在記を書きました。
これは「日東壮遊歌」と呼ばれ、今日まで残っています。

その中の一節を紹介しましょう。

1764年1月22日 大阪
100万軒はあると思われる家の全ては「瓦の屋根」だ。凄い。
大阪の富豪の家は「朝鮮の最大の豪邸」の10倍以上の広さで、銅の屋根で、黄金の内装である。 この贅沢さは異常だ。
都市の大きさは約40kmもあり、その全てが繁栄している。信じられない。
中国の伝説に出てくる楽園とは、本当は大阪の事だった。
世界に、このように素晴らしい都市が他にあるとは思えない。
ソウルの繁華街の万倍の発展だ。
北京を見た通訳が通信使にいるが、「北京の繁栄も大阪には負ける」と言っている。
穢れた愚かな血を持つ、獣のような人間が中国の周の時代に、この土地にやってきた。
そして2000年の間、平和に繁栄し、一つの姓(つまり天皇家)を存続させている。
嘆かわしく、恨めしい。

1764年1月28日 京都

街の繁栄では大阪には及ばない。
しかし倭王(天皇)が住む都であり、とても贅沢な都市だ。
山の姿は勇壮、川は平野を巡って流れ、肥沃な農地が無限に広がっている。
この豊かな楽園を倭人が所有しているのだ。
悔しい。
「帝」や「天皇」を自称し、子や孫にまで伝えられるのだ。
悔しい。
この犬のような倭人を全て掃討したい。
この土地を朝鮮の領土にして、朝鮮王の徳で礼節の国にしたい。

18世紀の朝鮮人が書いたとは思えない既視感がありますね。
多少変えれば、今の朝鮮人が書いたと言われてもわからないと思います。

植民地支配しなくても、朝鮮人はこういう風に思っているのです。

秀吉の朝鮮出兵の影響も考えましたが、それから170年余り経っており、植民地支配からと当てはめれば、今から100年後くらい後の朝鮮人と同じ勘定になりますから、そこまでの影響はないでしょう。
しかも昨日の記事のように、朝鮮出兵の50年後、清にこっぴどくやられてますから日本の事どころじゃないでしょう。

中国や朝鮮には、中華思想、小中華思想というものがあり、中原(中国の中心地)からの距離で、その民族の尊卑をはかります。
それにあてはめると、日本人などは野蛮人の中の野蛮人ですね。

例え日本がどんなに発展しようと、大前提は、中国>朝鮮>日本、の順で変わらないのです。
その後進国に負けている状態が朝鮮人にとっては我慢ならないのです。

それが解消されない限り、いつまでたっても朝鮮人は日本人に対して友好的にはならないでしょう。
そして万が一、朝鮮人が優越する時代が来たら、手のつけられないくらい日本に高圧的になるでしょう。
戦後の混乱期に、朝鮮人が暴れまわり、竹島を不法占拠されたりしたのは、その証左です。

植民地支配をいくら謝ったところで意味はないのです。
つけあがるすきを見せないよう、抑えつけておけばいいのです。

尚、朝鮮通信使は日本に文化を伝えたってことに、教科書ではなっているようですが、そんなことはあり得ないことがわかると思います。
通信使は室町時代から、何度も日本の「水車」を見て驚き、ひそかに記録を取って帰りましたが結局実用化できませんでした。
ちなみに、日本には奈良時代から「水車」はあります。

1000年以上遅れている国に、何を学べというのでしょうか?


日東壮遊歌―ハングルでつづる朝鮮通信使の記録 (東洋文庫)

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