2011年11月08日 20:20
その席で、原子力発電について肯定的な発言をしたと、各所で報じられていた。
→ 脱原発だと「貧富の差広がる」 ダライ・ラマが記者会見で述べる J-Castニュース
→ ダライ・ラマ14世、原発が途上国の格差縮小に果たす役割を指摘 ウォール・ストリート・ジャーナル日本版
その時に質問はこういう内容だった。
この度は東北の被災地を訪問されたとお聞きしました。
法王は原子力エネルギーに関しては「賛成する」と仰っていますが、実際にご自身が訪問された仙台市や石巻市などでは復興のために人々が希望を持って懸命に働く姿が見られたかと思います。
しかし福島の人々は未だに不安と絶望の中に生きています。
これは福島第1原発から20km圏内の地域で撮られた写真なのですが、見捨てられた家畜たちが飢えで死んでいきました。
確かに福島の事故による直接の死者はまだ出ていないのでしょうが、このように多くの動物が命を落としているのです。
人間には幸せに生きる権利があり、その中には放射能に侵されずに生きる権利もあるのではないかと思うのですが、宗教的なリーダーとして、また人権保護者としていかがでしょうか。
質問自体に質問者の意図というか、ある言質(反・脱原発的な言葉)を法王から引き出そうとする思惑を感じたので、調べてみたら質問者は、ピオ・デミリアなる人物。
聞き覚えのある方もいるだろう、菅直人前首相の知人で、菅前首相に“脱原発”を吹き込んだ人物だ。
ジャーナリストで弁護士ということだが、イタリアの極左団体「赤い旅団」ともつながりがあるという報道もある。※本人は否定
→ 首相「脱原発」にイタリア人の影 ちらつく極左テロ組織 産経新聞
なるほど彼ならば、こういう質問をし、ダライ・ラマ法王を利用して“脱原発”という言葉を引き出そうとするだろう。
質問の最後の方、
>人間には幸せに生きる権利があり、その中には放射能に侵されずに生きる権利もあるのではないかと思うのですが、宗教的なリーダーとして、また人権保護者としていかがでしょうか。
「宗教的リーダー」とか、「人権保護者」とかいう言葉を使って法王を追い込むあたり、非常に狡猾だ。
しかし!
法王はそのような、意図的な質問もさらりと、見事に返す。
少し長くなるが全文を。
私が常に強調して皆様にお話ししていることは、物事を見る時には全体を見なさいということです。
例えば何かを決める時にも、一面だけを見て決めてはダメだということです。
原子力についても同じことが言えます。
例えば破壊的な目的での使うものでは、やはり破壊的なものしか生みません。
私の最初の来日あるいは二度目の来日の時でしたでしょうか、広島を訪問しました。
原爆が投下された建物の跡も見ています。
また別の機会ですが、原爆資料館にも訪問しました。
今でも記憶に残っているのですが、被爆をした方の時計が原爆投下の時刻で止まって、焼け溶けた状態で展示されていましたし、束になった糸が溶けて一本になっているというものもありました。
そしてまた、実際に被爆者の声も聞きました。ですから原子力というものが兵器として使われるということであれば、これは決して望ましい状態ではないと思います。
しかし、原子力が平和目的で使われるのであれば、これはまた別の問題だと思います。
もし原子力発電の他に何か代替案があるのなら良いでしょう。
一つに水力発電のためにダムを造るという方法があると思いますが、この方法は自然に対して何らかの破壊、あるいは悪影響を及ぼします。
また、風力エネルギーや太陽エネルギーというものもありますが、まだ十分ではないかも知れません。
ここで言う十分というのは、単に日本あるいは先進国の方々にとって十分ということだけではなく、これから発展していく国々にとっても十分でなくてはならないと思うのです。
そうでなければ、貧富の差がますます広がることになってしまいます。
私たちはこれから発展していく国々の人のことも考えていくべきだと思います。
だからこそ最終的な決断というのは、専門家の方々がもっと広い角度から全体的にこの問題を捉え、最大限の注意を払って結論を出すべきだと考えています。
確かに物事、何かをなす時には99%の安全性というものを考えていただきたいと思います。
しかし、いくら安全に対して配慮しても、やはりどこか1%の危険というのは残ります。
100%安全とは言えないと思うんです。
例えば車を運転していても、1%の危険はどこかにあるでしょう。
例えばおいしい食事をいただいていても、どこかに1%、もしかすると何かのリスクを負うこともあるかもしれません。
そして、こうやって私たちが集まっているこの会場でさえ、もし何か大きなことが起これば、やはりリスクはまったくないとは言い切れないということがあると思います。(法王体を揺すって地震を表現)
ただ少なくとも、万全を期して行っていくということが大切ではないかと思います。
例えば、チェルノブイリの事故がありました。
チェルノブイリの原子力発電所は古く、そしてまた十分な注意がなされていなかったために、ああいう大きな問題になりました。
もしかすると、今回の福島(第1)原発もここまでの津波を予想されていなかったから、こういう状況が生じてしまったと考えられるかもしれません。
大切なのは常に安全策を最大限に考えていくこと、そしてそれに基づいてなされるならば物事はいいのではないかと思います。
ただ、例えばもう原子力発電所はいらないと皆さんがお決めになるなら、それはそれでいいと私は思います。
質問者の視野の狭さとは対照的に、多面的、グローバルな視野で話をされ、しかも一分の隙もない。
この答えを聞いている時、質問者はどんな顔していたのだろう?
おそらくは渋い顔だろうな。
人は現実を生きていて、現代社会のリスクを管理し、上手く折り合いながら生活していくしかない。
政治家ダライ・ラマのブレない見識を、質問者だけでなく日本のどっかの誰かさんたちにもよーく聞かせてやりたいね。
それなのに報道の扱いの小さいこと。
それも現実か…
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