2011年02月06日 15:00
先日放送された朝生でホリエモンがまた、暴走したそうだ。
その時の動画 ↓ (一部ですが)
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いろいろと刺激的な発言ばかりが注目されるけど ↓
ホリエモンと東とかいうのが言いたいのは、つまり、今の時代、個人がtwitterなどで自由に発信できるので、国家権力も国際的批判を恐れて無体なことはできないって話。
まあそれはそういう側面もあるだろうよ。
かつてマスコミを国は警戒して、コントロール下におこうとしてきたけれど、個人が簡単に発信できるようになった今、国はあらゆるところで監視されているようなものだからな。
しっかし議論できない態度はまあおくとしても、常識を疑うポジションで世間を古いとなで斬りにするには、御自身が常識に足を捕らわれてるね。
まず、全ての国が国際世論を気にするとは限らない。
それはいわゆる民主国家に身を置いている人間の発想。
全然気にしない国はないにしても、そういうものの相対的価値が低い国は厳然と存在する。
そして、そういう国に日本は囲まれている。
中国・北朝鮮・ロシア、日本が相対している国は、取り残された国家主義的な国々だ。
国家の利益のためなら、評判何ぞ気にせずダーティなことでもやる。
プーチンを批判する活動を続けていたアレクサンドル・リトビネンコが暗殺されたのは記憶に新しいところだ。
暗殺国家ロシア―リトヴィネンコ毒殺とプーチンの野望 (学研新書)
亡命先のイギリス警察は、ロシア当局の関与を強く疑い、国際世論もロシアに強い批判を加えたが、ロシア政府もプーチンも歯牙にもかけていない。
このことをいかにtwitterでつぶやいても、ロシアが反省することはないだろう。
最終的に民衆が勝つというが、それはいつのことだろうか、そしてその最終勝利までにどれだけの血が流されなければいけないのか。
こういう国家の暴力を牽制できるのは、やはり国家の暴力でしかない。
また、民衆の力というもの過信しているように思う。
これはホリエモンではなく東さんが言ったことだが、エジプトの例を出されていた。
独裁=悪 対 twitterを持った民衆=善 という図式、これはいささか恥ずかしい紋切り型ではないか。
せっかく常識を疑うスタンスならここも疑ってほしかった。
まあ簡単に言うと、民衆って正しいか?ってこと。
エジプトだって、大統領支持派と反体制派がいがみ合っているんだけど、どっちも民衆なんだよね。
断続的に起こる、タイの暴動だって、民衆が2派に分かれている。
どっちの民衆が正義なのかと。
デモがエスカレートして、略奪や破壊行為を行うのを、我々は何度も見ているはず。
ロス暴動然り、中国のデモだってそう。
フセインという独裁者を打倒したあとのイラクは幸せか?
独裁者打倒の瞬間を喝采するけど、打倒した後民衆の生活は昔より良くなると、常に言えるのかね?
善、悪というのは相対的なもので、絶対的じゃないし、
世界はそんな単純にできていない。
そんな世界から、身を守るため、国というのが嫌なら自分たちの住む共同体を守るため、ホリエモンが言う旧態依然とした、国境や軍隊や“国”が必要な世界に、我々はまだ生きているし、生きていかなければならない。
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その時の動画 ↓ (一部ですが)
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いろいろと刺激的な発言ばかりが注目されるけど ↓
「北朝鮮がどうして日本を攻めてくるんですか。日本を取ってどうするんですか。そんなのくるわけはないでしょう。来るんだったらやればいい」
「尖閣なんかあげちゃえばいい」
「尖閣の漁業権なんかお金で買えばいい」
「国土が侵されてなにがまずいんすか」
「ゲリラ戦の時代」
「最後は民衆が勝ちますよ」
ホリエモンと東とかいうのが言いたいのは、つまり、今の時代、個人がtwitterなどで自由に発信できるので、国家権力も国際的批判を恐れて無体なことはできないって話。
まあそれはそういう側面もあるだろうよ。
かつてマスコミを国は警戒して、コントロール下におこうとしてきたけれど、個人が簡単に発信できるようになった今、国はあらゆるところで監視されているようなものだからな。
しっかし議論できない態度はまあおくとしても、常識を疑うポジションで世間を古いとなで斬りにするには、御自身が常識に足を捕らわれてるね。
まず、全ての国が国際世論を気にするとは限らない。
それはいわゆる民主国家に身を置いている人間の発想。
全然気にしない国はないにしても、そういうものの相対的価値が低い国は厳然と存在する。
そして、そういう国に日本は囲まれている。
中国・北朝鮮・ロシア、日本が相対している国は、取り残された国家主義的な国々だ。
国家の利益のためなら、評判何ぞ気にせずダーティなことでもやる。
プーチンを批判する活動を続けていたアレクサンドル・リトビネンコが暗殺されたのは記憶に新しいところだ。
暗殺国家ロシア―リトヴィネンコ毒殺とプーチンの野望 (学研新書)
亡命先のイギリス警察は、ロシア当局の関与を強く疑い、国際世論もロシアに強い批判を加えたが、ロシア政府もプーチンも歯牙にもかけていない。
このことをいかにtwitterでつぶやいても、ロシアが反省することはないだろう。
最終的に民衆が勝つというが、それはいつのことだろうか、そしてその最終勝利までにどれだけの血が流されなければいけないのか。
こういう国家の暴力を牽制できるのは、やはり国家の暴力でしかない。
また、民衆の力というもの過信しているように思う。
これはホリエモンではなく東さんが言ったことだが、エジプトの例を出されていた。
独裁=悪 対 twitterを持った民衆=善 という図式、これはいささか恥ずかしい紋切り型ではないか。
せっかく常識を疑うスタンスならここも疑ってほしかった。
まあ簡単に言うと、民衆って正しいか?ってこと。
エジプトだって、大統領支持派と反体制派がいがみ合っているんだけど、どっちも民衆なんだよね。
断続的に起こる、タイの暴動だって、民衆が2派に分かれている。
どっちの民衆が正義なのかと。
デモがエスカレートして、略奪や破壊行為を行うのを、我々は何度も見ているはず。
ロス暴動然り、中国のデモだってそう。
フセインという独裁者を打倒したあとのイラクは幸せか?
独裁者打倒の瞬間を喝采するけど、打倒した後民衆の生活は昔より良くなると、常に言えるのかね?
善、悪というのは相対的なもので、絶対的じゃないし、
世界はそんな単純にできていない。
そんな世界から、身を守るため、国というのが嫌なら自分たちの住む共同体を守るため、ホリエモンが言う旧態依然とした、国境や軍隊や“国”が必要な世界に、我々はまだ生きているし、生きていかなければならない。
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