2011年03月02日 11:51

焼き場にて -長崎 Photo by Joe O'Donnell
幼子を背負い、凛とした直立不動の姿勢で前を見つめる少年。
この写真には、強く訴えかけてくる何かがある。
これは終戦後すぐ、長崎で若きアメリカの軍曹、ジョー・オダネル氏が撮影したものだ。
この写真にまつわる彼のコメントを読んでみよう。
原爆の夏 遠い日の少年 TBS番組サイトより佐世保から長崎に入った私は小高い丘の上から下を眺めていました。
すると白いマスクをかけた男たちが目に入りました。
男たちは60センチほどの深さにえぐった穴のそばで作業をしていました。
荷車に山積みした死体を石灰の燃える穴の中に次々と入れていたのです。
10歳ぐらいの少年が歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
弟や妹をおんぶしたまま、広場で遊んでいる子供たちの姿は当時の日本でよく目にする光景でした。
しかし、この少年の様子ははっきりと違っています。重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという強い意思が感じられました。
しかも裸足です。
少年は焼き場のふちまで来ると、硬い表情で目を凝らして立ち尽くしています。
背中の赤ん坊はぐっすり眠っているのか、首を後ろにのけぞらせたままです。
少年は焼き場のふちに5分か10分も立っていたのでしょうか?白いマスクの男たちがおもむろに近づき、背中の赤ん坊をゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。
まず幼い肉体が火に溶けるジューという音がしました。
それからまばゆい程の炎がさっと舞い立ちました。真っ赤な夕日のような炎は、直立不動の少年のまだあどけない頬を赤く照らしました。
その時です。炎を食い入るように見つめる少年の唇に血がにじんでいるのに気づいたのは、少年があまりキツくかみ締めているため、唇の血は流れることもなく、ただ少年の下唇に赤くにじんでいました。
夕日のような炎が静まると、少年はくるりときびすを返し、沈黙のまま焼き場を去って行きました…。
少年はおそらく自分の弟か妹の亡き骸を背負い、荼毘に付すために、この焼き場にやってきたのだった。
両親は亡くなったのか、戦地にいるのか、いずれにしても少年は一家を代表して、家族を葬りに来たのだ。
その責任感からだろうか、つらく悲しい現実を、ひしと受け止め、取り乱さんとする強い意志が感ぜられる。
このような小さい子が、である。
その健気さ、胸をつくものがある。
翻って現代のわれわれは、この少年のように振る舞えるだろうか。
この凛とした姿に遠く及ばなように思う。
ぐっと背筋を伸ばす少年の中には、体の中を一本の太い背骨が通っているようだ。
肉体ではなく、精神の背骨が。
敗戦後に育った日本人にはその“背骨”がない、クラゲのような人間が多くなってしまった。
この写真を撮影したジョー・オダネル氏は、このような少年までも巻き込む原爆の惨禍を目の当たりにし、あまりの悲惨さにずっと44年間も現像しなかった。
しかし、アメリカで反核の運動が高まりに触発され、この写真を含む、多くの写真を公開し、反原爆の活動をアメリカで行い続け、2007年に亡くなっている。
異国の人である彼ですら、人生を大きく揺り動かされ、反原爆の活動に身を投ずる体験だったのだ。
少年と同じ国に住み、歴史や価値観を共有しているはずの日本人が、なぜ忘れてしまったのだろう。
原爆の惨禍ではなく、その惨禍を目の前にしても揺るがない日本人としての矜持を。
この一枚の写真に何かを感じ取れたなら、まだ心の中に日本人の魂が息づいているはずだ。
呼び覚まそう、日本人としての誇りを。
参考文献
小学館
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