慰安婦の問いに唯一答えられる人

2011年12月18日 13:42

韓国の李明博大統領が来日しているそうで。
来日の焦点は「慰安婦」問題だそうですよ。
そんなことなら来なくていいですよ。

その李大統領、来日早々こう言ったそうで。

「解決しなければ、日本は永遠に両国間の懸案を解決できない負担を持つことになるだろう。(元慰安婦が)生きている間に解決することが両国の未来への助けとなる」

もう40年以上も前に、日韓基本条約で解決済みですか何か?

明博はそれなりに評価していたのにな、反日世論にとりこまれたか。

慰安婦さんは志願ですよ。
日本語世代の台湾のおじいさんもはっきり言っている。



「慰安婦はね、みんな志願ですよ、志願志願」

当人たちにとって強制だと思わせるものがあったとしたら、それは親に売られたり、女衒にだまされたからですよ。

強制連行唯一の証拠、慰安婦さん自身の証言の中に、それを思わせるエピソードがたくさんあります。
例えば、イ・ヨンスさんの証言
http://www1.doshisha.ac.jp/~kasano/FEATURES/2005/leeyongsoo.htm

強制連行された時

私はいつも母と一緒に寝ていたのですが、ある日の夜寝ていたら、コソコソと音が聞こえました。
起きて見てみたら、ある女性が首のほうに何かを突きつけられながら、こちらを覗いていました。
それでそこをよく見てみたら、帽子を深くかぶった軍人が立っていました。
その女性が、私を見て何も言わずに手振りで私を呼んでいたので、私は怖くなり、部屋を出て外の居間のところで座っていました。
するとその女性と軍人が一緒に居間まで入ってきて、その女性が片手で私の肩を抱いて、もうひとつの手で口を塞いで私を連れて行きました。
その時軍人が、私の背中に何かを突きつけていました。そういう風に私は連れ去られていきました。


いつも隣に寝ている母は、その時だけ、なぜ隣に寝ていなかったのでしょう?
その答えは彼女が帰ってきた時にわかります。

 駅から家は近かったのですが、駅から走って家に行く途中で転んだりして、口やひざやひじから血が出ました。
家の門の外に立っていましたが、門の外から母が何かを拭きながら、泣いていて、独り言を言っているのが見えました。
そして私の弟のチョングンにお母さんは「チョングン、豆腐を買って来て」と言いつけました。
「豆腐は何に使うの」と弟が聞いたら、お母さんは「今日はあなたのお姉さんの法事じゃないか」と言いました。

 その当時、私の家には人に貸していた部屋がたくさんあったんですけど、そこに住んでいたおばちゃんたちが私を見て、幽霊だと思って、裏の門に逃げて行きました。
私の父は、私がいなくなってからお酒ばっかり飲んで、体が半身不随になっていました。
立っている私の姿を見ると父は、何もしゃべれずにそのまま後ろに倒れてしまいました。  
 韓国の法事では、木の根からとった油を二つ皿に入れて、扉の両方に置いて火をつけておくと、魂が来る、その幽霊が来るといわれているんです。
その日もその火をつけていたんです。
私が来る途中に転んだりして血を出したりしていたので、みんなが私を幽霊だと思ったわけです。
私が母に近づいて「お母さん」と言ったら、母は怖がって部屋に入ってしまいました。
すると隣に住んでいたおばさんが戻って来て、「違いますよ。これ本当のチョングンのお姉さんですよ」と言ったら、母はそのまま気を失ってしまいました。
私も母が気絶してしまったので、母を抱えて、米をすってそれを飲ませたりしました。
母は信じられない様子で、「肌をつねると痛いから、痛ければと本当だ」と言って私の手の肌をつねって、「痛い」と聞きました。
私が「痛いよ」と言うと、「お母さんもつねって」と言って痛かったので、次は「噛んで」って言われて、何回も何回も噛んで、母の手首が傷だらけになりました。
それで、母がそんなに傷だらけになってからやっと、「これは本当だ。よく帰ってきてくれたね」と何も聞かずになでてくれました。


せっかく娘が帰ってきたのに、もう死んだことになっていて、幽霊と間違い気絶したり逃げ出したり…
強制連行で急にいなくなったのなら、生きているものと信じて待ちませんか?親なら。
それに戻ってきたら、幽霊であろうとも、駆け寄って抱きしめるものじゃありませんか?親なら。

なぜこんな対応になったのでしょうね?

それとなんでなにも聞かないのでしょう?
連れ去られた時の話が事実なら神隠しのような印象を、親は受けるはずです。
「どこへいっていたの?」
「なにをしていたの?」
こう聞かずにはおれないはずです。
それを聞かないのは、“なにが起こったか”承知していたからです。

 帰ってきたら、父も母もいて、何もなかったように暮らしていても、この胸の中には、何で私は連れて行かれたのか、何で連れて行かれなければならなかったのか、そういう事がずっと胸の中にありました。
私は何か罪を犯したのか、それとも私の父と母が何か罪を犯したのか、何かを間違ったのか。
どのような理由で連れて行かれたのかという痛みがずっと、胸の中にありました。

 私が強制連行されたその夜、いつもなら一緒に寝ているはずの母が隣にいなかったのです。
私は実は今まで、この日本に来る20日位前まで、何でその時母が私の隣にいなくて、私の側にいなくて、父のとこにいたのか、ということをすごく恨んでいました。

 私の下には9歳下の4番目の弟がいます。ここに来る20日前にその弟から、何で母が私の側にいなかったのかという話を聞きました。その当時、母は一番下の5番目の弟を産んだばっかりだったんですね。その赤ちゃんが泣いていたので、部屋から離れていたということを、こっちに来るわずか20日前に初めて聞いたのです。


くどいようですが、その夜だけ、お母さんは隣にいなかったのです。
そのわけを、弟から聞いたわけですね。
お母さんは弟に「あの時はちょうど5番目の弟が生まれてすぐで、泣いてばかりだったのでヨンスから離れたのよ」とか言っていたんでしょう。
生まれたばかりで泣くから、という理由なら、その夜だけではなかったはずです。
それに泣くからというなら、起きていたのでしょうから、知らない軍人と女性が居間まで入り込んで娘を連れだす物音を聞かなかったのでしょうかね?
お父さんや兄弟もいたでしょうに、だれも聞かなかったんでしょうか?

それに弟にはわけを話していたのに、なんで当の本人には話さなかったのでしょうか?
言い訳にならないとでも考えたのでしょうか?
ならば弟にも話すべきではないですよね。

まあヨンスさんがその理由で納得しているのなら、本人的は結構なことですけど。


ヨンスさんの体験には同情を禁じ得ません。
でもその恨みを守ってくれなかった父母にぶつけたことはあるのでしょうか?
帰ってきたら、父も母もいて、何もなかったように暮らしていても、この胸の中には、何で私は連れて行かれたのか、何で連れて行かれなければならなかったのか、そういう事がずっと胸の中にありました。
この一文に私は非常な恐怖を感じます。
おそらく、父母はヨンスさんがいなくなった事実に何も触れようとはせず、墓場まで一切話さなかったのでしょう。
守れなかった謝罪をするわけでも、言い訳をするわけでもなく、黙って“まるでなにもなかったように”過ごし、ヨンスさん自身も「なぜ?」と問うことはなかったのでしょう。

両親に問えなかった「なぜ?」を、今日本に問うている感じがします。
しかし、その答えは両親しか知らないのです。
日本が答えられることはただ一つ
「強制はなかった」ということだけです。

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